弦楽器工房こばやしです。
大体23年前、私は音響の専門学校に通ってました。漠然とテレビや映画の効果音を入れる「音効さん」になりたかったのです。
ただ、親に頼み込んで通わせてもらった割に、一心に勉強したかというと、そうでもなく…。
今から考えてもヒドイ息子でした。
当然、そんな生徒が就職できるわけもなく、卒業して4月に入っても仕事は決まらず、「このままフリーターか…」などと無責任に考えていたときに、母親が新聞の求人を持ってきたのです。
再現映像(笑)です。サイズでかいな…小さく…できません、すみません。
確かこんな文章で、横に文京楽器さんの名前と電話番号が書いてありました。
一辺が30㎜とか、それくらいのほんとに小さな求人広告です。
「あんたプラモデル作るの好きなんだから向いてるんじゃない?」
母親の一言で、電話をかけてみたところ、筆記テストに来てくださいと。
テストの開始が朝の10時か、11時、だったか…1時間前に来られますか?ということで当日、早めに向かうと軽く面接をされました。
ガチガチに緊張しながら文京楽器に到着して、お店に入ったすぐのテーブルに案内されました。すぐに、一緒に面接を受けるらしい方が来て、隣に座りました。ガッチリした体型のヒゲの欧米人でした。年上に見えましたが、20歳の自分には良くわかりません(^_^;)
当時の社長さん(小柄で、シャキッとした女性の方でした)とその後私の上司となった課長?さんがいらっしゃいまして、面談です。
同席していたのは確か…イギリス…スウェーデン…うーん記憶があいまいです。まあユーロ圏の方でしたね(あれ?イギリスはユーロ圏?)。家具なんかを作ってるとお話しされていて、内心(終わった…)と思ってました。
「どんなことが趣味ですか?」
という質問に私はプラモデル、映画、読書、としか答えられなかったので。家具作りってスゲーじゃん、プラモデルじゃなあ…、なんて。
その後別会場で筆記テストを受けて、あまりの受験者の多さに驚きました。
会議室を一回借りただけでは入らないので二回借りたとか。
当時が1996年4月です、はい。
かの有名な(?)「耳をすませば」が公開されたのが1995年7月ですよ!
みんな関心があったんですねぇ。
数日後、筆記に合格したとのことで実技テストを受けました。
忘れもしません、初めて持つ洋ガンナでネックグリップ材を円柱にしなさい、というもの。
30分の時間でバイオリンのネック修理に使う角材を丸い棒状にするんです。
まあ、できるわけありませんよね。
角を一つ、かろうじて丸みを出したところで終了です。
その時も(終わった…)と思ってました。角を一つしか丸くできてませんからね。
その後、なにが良かったのか合格の通知をいただきました。合格者は私だけ(!)、でした。
その頃は実家のある、江戸川区に住んでいましたが、仕事が決まって小田原に引っ越しました。初めての一人暮らしです。
こう書いていると、本当に縁というものは不思議なものです。
ここにいて、弦楽器の仕事をしているのは偶然に偶然が重なっただけなんですね。
なのに、それ以来、人生の半分以上を弦楽器とともに歩んできました。
始めた当時、実感はありませんでしたが、今では誇りも愛着もあります。
経験も積みましたし、どんなことにも対処できる自信も(そこそこ)あります。
一生やっていきたいと思える仕事に出会えたのは幸せなことなんでしょうね。
とりあえず一度は、まともに見たことのない「耳をすませば」を家族と見てみようかなあ。
いろんな方に言われるんですよね、「耳をすませば」の仕事だね。って。
今日は仕事のスタートのお話でした。出張先等でよく聞かれてよく話すのですが、文章にしたのは初めてですね。
弦楽器工房こばやしは小田原の栢山から、弦楽器の出張修理を承っております。
詳しくはホームページをご覧ください。
https://musical-instrument-repair-shop-51.business.site